自己紹介でも説明していますが、私は妻と出会うまで精神病というものに対して全くの無知でした。
そんな私が、妻の言動に振り回され仕事を遅刻、早退することが増えてきて、それを心配した上司の勧めで会社の産業医に相談することとなり、妻の言動に対してBPDの疑いを教えられたのです。
そして当時の私が最初にとった行動が、BPDをよく知る事、と自分を守ることです。
BPDをよく知る事
な~んだと言われるかもしれませんが、まだ今ほどウィキペディアやGoogleが一般的ではなかった時代、BPDについて調べるのは簡単なことではありませんでした。
当時はまだ、全部まとめて『ノイローゼ』なんていう言葉で片付けられてしまって、パーソナリティ障害を明確に区別して説明する本などほとんどありませんでした。
それ以来、私はBPD関係の書籍を見つけては読みあさるようになったのですが、そのことについてはBPD関連書籍の紹介で詳しく述べることにします。
ただ、私がBPDについて調べていて強く感じたことは、BPDへの対応は鬱病やモラハラへの対応とは全く違うということです。
鬱病は今でこそ一般的ですが、よく心の風邪として例えられます。
つまり心が疲れてしまって風邪を引いている状態というのです。
早く気づいて適切に手当をすれば比較的治りやすいですが、放置してこじらせると大病へと繋がってしまいます。
そして鬱病で悩んでいる人に『頑張れ』という応援は御法度。
そうですよね。
心が頑張りすぎてる人がなる病気ですから、応援するのではなくまずは休養が必要ということです。
実はうちのBPDの妻も、疲れてしまって抑鬱状態になる時があります。
そんな時はもちろん『頑張れ』は御法度ですが、逆に疲れていない時もあるんです。
そんな時に『頑張れ』を言わないと、それはそれで『応援してくれない』と非難を受けることになります。
BPDの場合は表面に現れる症状も非常に複雑で、鬱状態もあるし逆に躁に近い状態もあるし、平常心でいて認知が歪んでいるだけの時もあるのです。
だから鬱病のように『とにかく休むことが大事』ではよくありません。
モラハラとBPDは全く違う
また最近では、恋人や配偶者などから怒鳴られたり、理不尽な理由で非難されたり、したくないことを強要されたり、といったモラルハラスメントもよく耳にするようになりました。
実はうちのBPDの妻も、怒鳴って、理不尽な理由で非難して、したくないことを強要するので、このモラルハラスメントに近いように思われることがよくあります。
しかし、この両者は表面化した行動は同じであっても、やっている本人の心情は全く異なります。
私が思う、これらの簡単な見分け方はただ一つ。
その行動を取った後の本人の心境や態度です。
もしその相手が怒鳴って、あなたに理不尽に罪をかぶせたり、あなたにしたくないことを強要したりして、あなたがそれに甘んじたとします。
その後その相手が、半分嬉しそうに、または勝ち誇ったかのように喜んだり、優越感に浸ったり、あたなを意のままに出来たことで一定の満足を得ているようであれば、それはモラルハラスメントでしょう。
やった本人は、怒鳴ったことなど全く気にせず、自分の思い通りになったことで満足し、悦びのようなプラスの感情を得ているのです。
逆に、あなたが相手の自分勝手な理由で非難され、それを不本意ながら受け入れたとして、それでも相手の怒りは治まらず、その非難した張本人が死にたくなったり、家出してその場から消え去るような行動を取れば、それはBPDの可能性が高いと思います。
なぜなら、BPDの怒りはその目の前の行動に対する怒りではなく、漠然とした寂しさや不安、生き辛さといった感情の延長線上の怒りなので、目の前のあなたが謝ったとしても解決しないし、むしろ理不尽な行動を取っている自覚もあるので、更なる自己否定へと向かうのです。
うちのBPDの妻は、何か嫌な事があってその相手を非難した時、その後で必ず100%死にたくなります。
また私が何かのミスをして、そのミスで損害が出た時…例えば、買ったばかりのジュースをこぼしたとか、本当に小さなミスでも…そのミスを非難した後、謝った私に対してBPDの妻は満足するどころか『分かった!私が居なくなれば良いんでしょ!』と全く逆の自己否定の言動をします。
ミスをしたのは私だし、こぼしてしまったのは悪いことなので謝るべきは私だし、それに対して妻の非難に応じて謝っているのに、BPDの場合はそれで怒りが治まらないのです。
逆に、こんな小さな事で謝らせてしまった自分が悪い…という自己否定の思考が働いて、死にたくなる、というのです。
そしてこちらにしてみれば、非難するから謝ってるのに、それで死んでやると言われても・・・それじゃ、こっちはどうすりゃいいんだ!となりますよね。
これがBPDの周りの人がなかなか理解しなくいところだと思います。
モラハラとBPDはこのように明確に違います。
当たり前ですけどね。
だから対応も全く異なります。
今はBPDに関する本もたくさん出ていて、世間で起きた事件にBPDの香りを感じれば、ネットではその話題で炎上するような世の中になりました。
炎上は困りますけど、それほどにBPDが一般的になってきたんだな、と思います。
しかし、BPDに関する治療や対応については今も日進月歩のようです。
これからも常に新しい書籍を読んで勉強を続ける必要があると思います。
自分を守ること
そしてもう一つ、私が最初にしたこと『自分を守ること』についてです。
妻のBPDの疑いを産業医から言われた時、私は自分でも気づいていませんでしたが、既に満身創痍の状態でした。
休養や休憩などは全く考えず、常に妻が怒らないように細心の注意を払って生活し、離れていても常に妻からのメールや電話にビクビクして、食事の時間や仕方、帰宅する時間や寝るタイミングも、全てBPDの妻を怒らせないように配慮して行動していました。
そんな状態ですから、休養がないばかりではなく、その他の趣味や友人との時間、自己啓発の勉強や映画や録画したテレビを見るなどの娯楽も、全くしていなかったのです。
しかし私の気持ちとしては、それが出来ていない自分にすら気づかずに、ただただ夢中で対応していた気がします。
あるいは、いつか時間が出来たらまたそういう普通のことが出来る様になると、漠然と思っていたのかも知れません。
そんなことはないのに。
だから産業医の先生に『あなたが精神的にまいってしまったら、それこそ家庭を守ることは出来ません』と言われた時、気づいたのです。
自分が限界ギリギリまで疲れてきっていて、なおBPDの妻を怒らせないために何でもしようとしていたと。
コレではダメだ、自分が壊れてしまう。家庭を守りたいなら、まずは自分自身が心身共に健康である努力をしなければならないと。
私が心身共に健康であってこそ、子供達をサポートすることが出来るし、家庭を維持することが出来ます。そして何よりBPDの妻を支えることが出来るのです。
そのことをもっとはっきり認識して、まずは自分自身を守らなければならないと気づいたのです。
だから、BPDの妻がいくら『今すぐ帰ってこなければ死んでやる!』と怒鳴ったとしても、いちいち対応してはならないのです。
もちろん本当に死の危険が迫っていれば別ですが、それまでの経験でそれが脅し行為であることは明白ですからね。
それこそ、それにいちいち対応して私が仕事を出来なくなれば、家庭が崩壊して妻も路頭に迷うことになるのですから『死んでやる』と同じことになってしまいます。
言葉は合わないかもしれませんが、私が私自身を心身共に健康で、正常な範囲で仕事も趣味も出来て、人間らしく生きていける範囲で、BPDの妻に対応することが必要だと気づいたのです。
考えてみれば、それはそうですよね。
私がBPDの妻の怒り…それはBPDの症状と言っても良い…にいちいち反応して、仕事を失ったり、心を壊して働けなくなったりしたら、それこそ家庭は崩壊だし、当の妻のBPDを治すような行動も出来なくなるのですから。
それではダメです。私自身がまずは自分自身を健康でいさせることが、ひいてはBPDの妻を守ることに繋がると、自分に言い聞かせました。
その時から、自分の時間を取るために妻に嘘をつくことが平気になりました。仕事だと嘘を着いて映画を見に行ったり、ドライブに出かけたりしたのです。だってそうすることで私が気力を保てば、それでまたBPDの妻を助けられるのですから、それこそ嘘も妻のためなのです。
しかし、そうは言っても、最初は線引きが難しかったです。
『自分が健康でいられる範囲』で妻の怒りに対応する…どこまでBPDの妻の言動に付き合い、どこからは妻に我慢させて自分のために生きるのか?その線をうまく引けるようになるまでは、かなり時間が必要だったと思います。
具体的に私が最初にしたのは、残業だと言って職場の飲み会に参加すること、でした。
どうせ妻が寝静まってから帰宅するのですから、妻にとっては私が残業していても飲み会していても同じ事ですよね。だから割り切って飲み会に参加することが出来ました。
次に、元々出張の多い仕事でしたので、泊まりがけの出張と偽ってネットカフェ難民になり、BPDの妻から離れて見たかったビデオを見たり、映画を見たり、マンガを読んだりしました。
もちろん、妻に嘘をついてBPDの書籍を読むために時間を作ったこともありますが、BPDの事ばかり考えていると私の心が全く休まりません。
だから、こうしてネットカフェなどで一晩中自分のためだけに時間を使う日というのは、BPDの事は忘れて思い切り別の事をしました。
私は『水曜どうでしょう』が大好きだったので、一晩8時間連続で見たこともあります。
こういう時『笑う』ってとっても大切ですね。
精神衛生上、たいへんなエネルギーをくれるんだと初めて認識しました。
その後も、自分らしさを取り戻すために少しずつ時間を作りました。
どんなに妻が荒れていても、昔の友人との約束はドタキャンしないようにしたり、時にはプロの方にお金を払って性処理をお願いしたこともありました。
だからと言ってBPDの妻の対応を一切やらなかったわけではありません。
いいえ、そういう生活をしてみると、以前よりもむしろしっかりとBPDの妻に対応することが出来ることに気づきました。
考えてみたら当たり前ですよね。
満身創痍で疲弊しきってする対応よりも、しっかり自分の時間を作って精神的にも安定して、仕事もちゃんとこなしてからする対応の方が、丁寧できめ細かく出来るのです。
つまり妻が怒っても、それにすぐに一喜一憂することなく、多少は落ち着いて受け止めることが出来る様になったのです。
いかがでしょうか?
まずはBPDについて知る、そして自分を休ませる、これが私の最初にとったBPDの妻への対応です。
そして今もって続けている対応でもあります。
もし皆さんがBPDの方への対応を続けるならば、これが何より大切だと思います。
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『はる@BPDの妻を持つ夫のnoteブログ』
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