昼下がりの会議室、私はそこで若い産業医と面談していました。
**(はるの本名)さん、境界例って…知ってますか?
境界例?・・・いいえ…知らないです
私がたびたび仕事を早退したり、遅刻したりするようになって、心配した上司が事情を把握し保健師に相談しました。
すると、簡単な事情を聞かれた後、会社に来ている産業医の面談を受けることになったのです。
別に私のメンタルを疑われたわけではありませんが、家族のメンタルの問題で仕事に支障をきたしているのですから、相談にのってもらおうということです。
その面談で私は、早退や遅刻の原因…つまり妻の様子などを洗いざらい話しました。
仕事中の無数のメール攻撃や、朝出勤前のゴタゴタ…そして帰宅後の理不尽な怒りなど。
更に、手伝いに来ていた親も拒否して完全に孤立していること、それを支えるために自分だけが妻の怒りに耐えながら生活していること。
そのために遅刻や早退を余儀なくされていることなど、とにかく思いつくまま全てを話したのです。
するとその産業医は、頷きながら私の話を最後まで聞いて、こう言いました。
それはそれは、本当によく頑張りましたね。辛かったでしょう。あなたは本当に偉いです
それを聞いた瞬間…私の目から涙が溢れました。
拭いても拭いても足りないくらい涙が出て、それでもまだまだ話したいことがたくさんあって…正直、この年齢になってあんなに涙を流して泣くとは、思ってもみませんでした。
BPDの妻の理不尽とも思える怒りや、感情のままに八つ当たりされる行動、私はいったいどうすれば良いのか?それまでは訳も分からず、とにかく逆境に耐えながら頑張るしかなかったのです。
その行動を産業医の先生に、肯定し、承認してもらったことで私は初めて救われました。
そして私は気づいたのです。
私の精神は、本当にボロボロになっていて、ギリギリまで追い詰められていたと。
そして次にその先生から出たのが、先ほどの発言でした。
境界例って知ってますか?
境界例…これが、ボーダー、境界性人格障害、境界性パーソナリティー障害と呼ばれる病気であると、その時の私はまだ知りませんでした。
書籍などもありますから、少し読んでみていただくと良いと思います。とにかく、簡単に治る病気ではありません。なるべく早く奥様に精神科を受診してもらって、専門家の手で治療する必要があると思います。
・・・精神科ですか。
精神科…うすうすそれしかないと思いながら、なかなか一歩が踏み出せなかった世界。私はそんな風に感じていました。
しかし、人一倍世間体や体裁を気にする妻です。はたして同意してくれるでしょうか?
私には自信がありませんでした。
それと**(はるの本名)さん、奥様の病気を治して円満な家庭を続けたいなら…
・・・続けたいなら?
まずは、あなたが心身共に健康であることです。
私が?ですか?
そうです。あなたが、奥様の為に全てを犠牲にして献身的に生活してきたのは分かります。しかし、それではあなたが壊れてしまう。鬱病とか、他の病気になって倒れてしまったら?それこそ、あなたの家庭は崩壊です。
・・・。
確かにそうでした。
私がもし何も出来なくなったり、仕事も続けられないことになったら・・・我が家は正に崩壊するしかありませんでした。
だから、奥様はいろいろ言った非難したりするかもしれませんが、まずはあなたの心身の健康を第一に考えるべきです。あなたが健康でなければ、奥様の病気を治すことも、生活を支えることも出来ません。だから、あなたが健康であることは、ひいては奥様のためにもなるのです。
最初の闘病経験の記事『妻がBPDと知って最初に私がしたこと』でも書いていますが、私は、産業医のこの言葉で、はっと目覚めた気がしました。
確かにそうでした。もし私が病気になって入院でもしたら、誰が妻のイライラから子供達を守るのでしょうか?
もし私が鬱病などになって休職でもしたら、この家の家計は誰が支えるのでしょうか?
そうだったのです。私はまず何より、私自身を守らなければならなかったのです。
この頃の私は、とにかく妻をイライラさせないように、機嫌を損ねないように、全神経を集中して生活していました。
天気が悪くて洗濯物が乾かない!と妻が怒鳴れば、平日夜中でも翌日の睡眠不足を省みずコインランドリーに行って一人で洗濯を済ませたり、妻から疲れたとメールがくれば、早く帰宅して洗い物や他の家事を代わりにやったりしていました。
それが何日かに一度ならまだしも、要求はどんどんエスカレートして毎日の様に何かしなければならなくなっていたのです。こんな生活が長く続けられるほずはありませんでした。
平日はこの調子ですが、もちろん土日も休むことは許されませんでした。
元々友達が多くて、多趣味な私でしたが、妻の機嫌が悪くならないようにこの頃は趣味は全て封印していました。
また毎週のように誘われていた平日夜の同僚との飲み会も、全部断るようになっていました。
しかし、妻を本当に守ろうと思ったらそれではダメなのです。
妻に気を遣って趣味や自分の時間を犠牲にしたり、それこそ、会議を早退して休んだりしていてはダメだったのです。
例え妻が怒鳴ろうが、無数のメールを送ろうが、それは一時のこと。
子供に危険が及ばない限りは、まずはちゃんと自分自身の心と身体の健康を保つようにしなければ、妻と子供を守る事なんてできないんだ。そう自分に言い聞かせることにしました。
この考えは、20年近くがたった今でも私の基本行動指針となっています。
もちろん、BPDの妻のおかげで無理はしています。
でも、それは自分が心身共に健康でちゃんと仕事を出来る範囲まで、と判断するようにしたのです。
そして私は、この頃から妻に対して嘘をつくことに罪悪感が無くなりました。
だって嘘をついてでも時間を作らなければ、BPDの妻との生活の中で心身共に健康でいることなんて出来るわけが無いのですから。
嘘をついてでも私が健康でいられるならば、それはBPDの妻と子供達の生活を支えることになるのですから、妻のためでもあるのです。
この考えのおかげで、私の行動も少しずつ変わっていきました。
例えばある日、仕事が終わった時間に、突然BPDの妻から電話がかかってきました。
どこに居るの!?
仕事だよ。・・・出張だって朝言ったよね?
知らない!…もうダメ、出来ない!今すぐ帰ってきて!
無理だよ…だってまだ遠くに居るんだもの・・・なるべく早く帰るから。。。
もういい!子供達皆殺しにして死んでやる!(
ガチャ!)
以前の私なら、すぐに電話をかけ直して、説得したりなだめたりしたと思います。
そして、すぐに仕事を途中でやめて急いで帰宅するところです。
でもこの時は、出張なんて嘘でした。
本当の私は、その気になれば30分くらいで家に帰れる所で飲んでいたのです。
でもそれは、私が可愛がっていた職場の後輩の栄転の送別会でした。
私はどうしてもその後輩を祝ってやりたかったし、〆の言葉を依頼されてもいたので、どうしても出席したかったのです。
だから、あらかじめ出張だと嘘をついて仕事に出ていました。
本当に出張で早く帰れない日もある仕事でしたから、全く不自然ではないし、実際に妻が切れても物理的に(出張で遠くに居て)帰れない事もよくあったので、少しも罪悪感はありませんでした。
もちろん『子供を皆殺しに…』なんて言われたら、心中穏やかではいられませんが。
でもそんなことをするわけがないと信じていたし、それまでもこういう発言はあったものの、ある種の脅しで実行に移すことはありませんでしたから。
それに、ここで突然早く帰ったら、嘘を言っていたことがばれてしまいます。
だから、私は妻の電話は無視して、飲み会のお祝いの席に戻り、心の動揺をなるべく抑えながら後輩を祝ってやりました。これくらいは許される嘘だと思ったからです。
またある朝、仕事に行く前の私に、妻が吐き捨てるように言いました。
早く行け!
手伝うよ…まだ少し時間あるから。洗い物だけでも・・・
どうせ見捨てて仕事行くんだろ!おんな同じだ!早く仕事行け!!
でも・・・それじゃ…ママがたいへんになっちゃうし。。。
うるさい!行け!
・・・。
こんな風に家を追い出された日は、仕事が早く終わってもとにかく家に帰りたくありませんでした。
だから急な出張などと嘘を言って、ネットカフェ難民になったり、有給を使って平日昼間に見たい映画を見に行ったりしていました。
また、たまに出張が早く終わっても、わざと時間を潰して、BPDの妻が寝てから帰るようにしていたのです。
この頃から出張での泊まりや、ネットカフェで過ごす時間だけが私の癒やしになっていました。
また合わせて、産業医に言われたようにBPDの書籍も読みはじめました。
忙しい仕事の合間に、出張の移動中に、内容が難しくてなかなか理解出来ない時は、有休を取って読んだりもしました。
私の『BPD関連書籍の紹介』でもご案内している以下の書籍など読み始めたのです。
『境界性人格障害=BPD ~はれものにさわるような毎日をすごしている方々へ~』
著:P.メイソン R.クリーガー 訳:荒井秀樹 野村祐子 束原美和子
これが私が最初に読んだBPD関係の書籍だったと思います。
まだ当時はBPD関連の本などほとんどなく、まだウィキペディアもグーグルも今ほど有名ではない時代だったので調べるのも苦労しました。
それでも産業医との定期的な面談を通じていろいろな手段で調べて、近所の本屋で取り寄せで購入したのでした。もし興味があったら上の文字をクリックして私の紹介を見てみてください。
また同じ産業医の勧めもあって、私は一人にならないように味方を作る様になりました。
味方、つまり妻のBPDと戦う味方です。
例えば、県などが運営してしている『こころの電話相談』など、なかなか繋がらないですが、無料で話を聞いて簡単ですがアドバイスもくれます。
それだけで自分は一人ではないんだ、と感じて少し気が楽になるのです。
他には、今後少しずつこのブログで紹介していきますが、市町村の精神福祉の担当、児童相談所、妻の主治医も大切だし、もし妻に兄弟などが居れば強力してもらっても良いでしょう。私の妻には生きてる兄弟はいないのですが。
他にもたくさん、私は少しでも助けてくれそうな人には片っ端からコンタクトを取りました。
その中の大切な一つ…それがツイッターです。
BPDの妻から発せられるひどい言葉、それは私の心を確実に破壊します。
本当にきれい事では済まされない、心から憎いと思うこともしばしばです。
そんな時、唯一、私の愚痴を心置きなく吐き出せる場所、それがツイッターです。
幸いにも、現在ではたくさんのフォロワーさんが居て、私の愚痴にコメントをくれます。
時には、つっかかるようなリプもありますが、多くは共感や前向きなアドバイス、そして何よ知り私を心配してくれるリプライです。
そんなコメントに触れた時、私は本当に癒やされるのです。
だからツイッターは私自身を守る一つの手段として欠かせない物になっています。
いかがだったでしょうか?
BPDの行動に振り回されるあなたは、恐らくそのBPDの方のためにたいへんな努力をしているのではないでしょうか?
BPDを甘やかせるから悪い…という声もあるかもしれませんが、その努力を私は否定しません。
私はそれで良いと思います。
でも、その大前提として、ご自分が心身共に健康を保てる範囲で、ということが大切です。
健康を害してまでBPDのために行動してしまったら、それこそあなたに依存しているBPDご本人まで将来が危うくなってしまいます。
そのためにはまず味方を増やし、ご自身の健康を保つことが大切だと、私は思います。
※もしこのブログを読んで私を応援したい、趣旨に賛同した、共感した、などのご厚意があれば
以下のブログで投げ銭を受け付けています。もしよろしかったらお願いします。
『はる@BPDの妻を持つ夫のnoteブログ』
コメント