『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。』妻と夫、この世界を生きてゆく / 著者 咲セリ、咲生和臣
『死にたいままで生きています。』の著者、咲セリさんの本です。
今回はセリさんの旦那様の咲生和臣さんも共著されていて、BPDのセリさんと共に暮らす家族の立場の意見も書かれています。
言わば、私と同じ境遇の旦那様。
こういう立場の方の意見がこうして書籍になるのは初めてではないでしょうか?
ということで、咲セリさんご本人からツイッターを通じてだいぶ前に教えていただいていました。
旦那様の考え方や、行動、意見などは、もしかしたら私の行動の参考になるのではないかと。
しかし、読んでみた正直な感想ですが、やはりセリさんの旦那様と私はだいぶリアクションや考え方が違うのだな、ということです。
もちろん、うちのBPDの妻とセリさんとでは同じBPDでも、行動パターンややることの方向性が違うので、一概に比較するのもどうかと思いますが、特にいざという時の行動が違います。
例えば本人が『死んでやる』と言って家を飛び出したような時、セリさんの旦那様はそのまま家で待って、警察や消防から事故や死亡の連絡があるのではないかと、放心状態で待っているようなところがあるようです。
でも私なら、こういう時は絶対に追いかけて止めますね。なぜ?と思われるかもしれませんが、それは私にとっては当然なのです。
うまく説明出来ないけど、そうしなければならないと思います。
もちろん過去には、そのままにしていたこともありますが、それでは全く解決しないし、後で見捨てたと非難されるだけですからね。
この本の中で警察から電話がかかってきて『あぁ、死んだんだな…』と思った、というくだりがあるのですけど、私にはそういうことは出来ないですね。
またうちのBPDの妻は、辛い時にこそ私にどんどん連絡が来て、一人で自殺しようとしたり、自傷するような行動はまずないです。だからうちの妻が自殺や自傷するシーンにはだいたい私が立ち会っていて、それはやっぱり止めますよね。
しかし、セリさんの場合はそうではないです。自傷や自殺のシーンはいつも一人です。そして家などで旦那様が放心状態で待っているという状況。これだと止めるような行動には結びつきません。
どちらが良い、ということではないです。いや、むしろ私のようにいつもそばに居て甘やかせてしまうからBPDがどんどんエスカレートする、BPDのままで落ち着いてしまう、という意見もあるでしょう。
そんなことを考えさせられる本でした。
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